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代表者ご挨拶


≪金融の本源≫とは何か


それは≪人≫であると私たちは考えます



なぜなら、経済活動は≪人≫の営みであり、経済活動を支える仕組みが『金融』であると考えるからです。

金融に携わる皆さんは、〝その道〟を、意思を持って選んだ≪人≫であり、難題とプレッシャーに晒されながら、❝金融の奥義❞を極めようとする≪人≫なのです。

この『金融』という、詰屈な仕組みは❝もっと悩め、もっと知恵を絞れ❞と私たちに難題を投げかけ続けます。また、同時に❝清冽であれ、良心であれ❞と無言のプレッシャーをかけてくるのです。

この難題とプレッシャーこそが❝金融の本質❞です

『財務の健全性(預金者保護)』と『金融の円滑化』という〝2つの相反する目的〟を均衡させ『国民経済の発展』に資する『社会の公器』であるために、先人たちは悩みに悩み、知恵を絞ってきました。

『財務の健全性』と『金融の円滑化』を同時に実現し、『国民経済の発展』に貢献するのは、非常に難しいことです。時には短期的な対症療法(「金融の円滑化」や「財務の健全性」の片方にのみに目を奪われた対応)が、長期的により望ましい目的(国民経済の発展)とコンフリクトを起こすことがあります。

さらに「社会の公器」であると同時に私企業である金融機関は、株主に対する責任を果たすことも大切な使命であり、それが『金融』をより詰屈な仕組みとするのです。


【問題提起とRDBの主張】


さて現在の状況はどうでしょうか。

相次ぐ経済危機、未曾有の大災害に対する政府の異次元政策に適合する、追従することで精いっぱいであったことでしょう。これは致し方ないことでした。国家的危機であり、国家のイニシアティブなくしては乗り越えることは到底不可能だったからです。

しかし今は違います。過去の危機は通り過ぎ、「金利がある世界」、金利連動した「信用リスクがある世界、そして「AIがある世界」という≪第三次産業革命≫の真っ只中に私たちは生きているのです。


この〝人生における千載一遇の大好機〟に、≪成長がある世界≫へと誘う社会システムに『金融』をどう革新させるか、その最も大事なベル・エポックに生きているのです。大変革期にある国民経済に応答し、≪成長がある世界≫を切り拓く『金融』に関しての〝社会的な情熱〟をほとばしらせる時なのです。


『金融』の未来をテクノロジーに求める人がいます。

RDBは勿論、科学技術を否定するわけではありません。しかしながら、それへの〝無思考の信奉〟がもたらす弊害、新技術についていけば良いという「油断、慢心、過信」によって、私たちは❝金融の本質❞を軽視し、歩みを止めてしまっているという強い危機意識を抱いています。

テクノロジーを盲信し、テクノロジーに使われる《人》ではなく、時代の流れ、未来を読み、テクノロジーを使いこなせる《人》とはどういう《人》なのか。それは、失われた30年の間に、「あるべき姿」や「ありたい姿」を描きながらも、何度も挫折を味わった《人》です。そういう人が新しい事業金融を想像し創造するのではないか。

先人たちの歩んできた試練の道、刻々と変わっていく〝風向き・強風〟に翻弄されながらも、自身の頭と心で悩み考え行動してきた❝金融心❞を科学的に建築したい。


根源は≪人≫なのです


❝金融心❞のない科学技術の移植では❝金融の奥義❞を極めることはできない


正しい「判断」をするために「考え、悩み」「知恵を絞り、また悩む」。その過程が金融の本質であり、それを放棄することに警鐘を鳴らすのがRDBです。


『金融』という道を自分の意思で選んだ≪人≫が、大切な社会の機能を担い発展させる〝社会的な情熱〟を萎えさせてしまっているのではないか。金融に携わる人が、『金融』が投げかけてくる難題とプレッシャーから目をそらし、ゼロ金利・ゼロ民間信用リスクに安住しているのではないか。のんびり油を売っている時間も余裕も私たちにはもうありません。

RDBは、『金融』に携わる皆様に貢献するよう


〝社会金融宮大工〟としての《高い志》と《圧倒的な想像力》を本質とした《科学的思考》をもって事業金融の未来を描き、実現していくことを目指しています。


RDBは、先人の技を「執着心」を持って継承し、新たな未来を切り拓こうとする「情熱」を持った皆様に、『ソリューションで進路を示し続け、目的地まで導くことでのみ存在できる集団である』と自分自身を定義しています。

我々RDBは、『金融』で社会が抱える難題、課題を解決する道を歩む「人」に寄り添い、貢献しようという〝社会的情熱〟を滾らせる意思と志を持った≪社会金融宮大工集団≫を目指しています。